THE 飯茶碗
THE 飯茶碗

THE 飯茶碗

【瀬戸・益子 入荷未定】5つの産地、5つの表情

BRAND
THE
RELEASED ON
2015/03
PACKAGE
ギフトボックス
COLOR
SIZE
12×12×6cm
MANUFACTURER
有田 : 藤巻製陶 清水 : 伊藤製陶所 信楽 : ヤマタツ陶業 瀬戸 : マルミツポテリ / 柴田製陶所 益子 : 陶庫 道祖土和田窯

SPEC

FORM

HISTORY

ENVIRONMENT

FUNCTION

MATERIAL

『THE 飯茶碗』は、最も人の手に沿いやすく持ちやすい形状を追求した飯茶碗です。口径は12cm。これは、標準的な大きさの日本人の両手で人差し指と親指を使い、円をつくったときの直径と同じ(①)。つまり、持ったときに自然と手に馴染む大きさです。そして高さは、その半分の6cmに設定しました(②)。一般に、人差し指と親指(先端から付け根まで)の長さの比率はちょうど2:1とされ、手の向きをどの角度に変えてもこの比率は変わりません。 つまり、この比率が椀と手のベストな関係であると導き出したのです。 開発の過程で、興味深かったことがあります。 お椀は、古くは“まり”と呼ばれていたそうです。毬のように丸い器であったことからその呼び名がついたようですが、特殊な形状の椀を別にすると、良い器というのは、反転させて二つを合わせたときちょうど四寸(12cm)の球になる、とされていたそうです。つまり、『THE 飯茶碗』同様、椀の口径12cm、高さ6cm、そして両者の比は2:1。さらに、様々な産地で作られてきた茶碗を見せていただいてもやはり、昔ながらの基本的な形は12cm(四寸)でした。「でもなぜだかは分からない」と、産地の皆さんは口を揃えます。 『THE 飯茶碗』の口径である12cm=四“寸”のような昔からある長さの単位は、人間の体から生まれた“身度尺”と言われます。近年、様々なデザインの手が入り、いろいろな形状の茶碗が増えていますが、おそらく昔からずっと、人の手の形から生まれた身度尺に沿った12cm=四寸の茶碗が、各産地で当たり前に作られてきたのでしょう。今回作った『THE 飯茶碗』は、図らずも、「今の時代には無くなってしまったけれども昔からずっとつくられていた茶碗の原型」を復刻する形となりました。様々なデザインによって失われつつあった茶碗の原風景=“手から生まれたかたち”に立ち戻れたことは、ひとつの発見でもありました。 今回、この全く同じ形状の茶碗を、異なる5つの産地で製造しました。日本の陶磁器の名産地である有田(佐賀県)、清水(京都府)、信楽(滋賀県)、瀬戸(愛知県)、益子(栃木県)の窯元に協力いただき、土、釉薬、仕上げなど、産地それぞれの特長を楽しめるようすべて白色に仕上げています。産地ごとに揃えたり、産地違いで集めたりと、5つの表情を自由に楽しんでいただける飯茶碗です。※THE 飯茶碗 信楽は生産・販売を終了しました。   ※それぞれの産地の特長が表情豊かに出せる仕上げにこだわっているため、窯の中の火加減や場所、季節や時期によって、どれも全く同じ焼き上がりにはなりません。 【有田(佐賀県)】窯元:藤巻製陶  天草陶石/白磁/柄杓掛今から約400年前、国内で初めての磁石が発見された、磁器発祥の地として有名です。有田焼は、国内はもとよりヨーロッパの王侯貴族を深く魅了し、「IMARI」と呼ばれて純金と同じ価値で取引されていたそうです。有田の磁器の透き通るような白さは、貿易商であったオランダ連合東インド会社の高い要求に応えた当時の陶工たちの研究の賜物であったと言えます。THE飯茶碗「有田」は、柄杓掛けという釉薬の表情が出やすい技法を用いてつくられています。 【清水(京都府)】窯元:伊藤製陶所  赤土/粉引名前の由来は、清水寺への参道である五条坂界隈に窯があったこと、と言われています。京都の料理人や茶人のもてなしの器、嗜好品として、様々な要望に応えてきた清水焼は、多種多様な技法や素材そのものより、手作業でそれをつくり続けてきた陶工達が主役であると言えます。江戸時代前期に活躍した野々村仁清や尾形乾山など、多くの名工が独自のデザイン・技法を生み出し、今日に至っています。THE 飯茶碗「清水」は、様々な色絵付けの下地となった白土の化粧掛け(粉引技法)を用いてつくられています。   【瀬戸(愛知県)】窯元:マルミツ陶器・柴田製陶所  古染土/透明釉/貫入 日本六古窯の一つであり、「瀬戸物」は陶磁器を指す一般名詞にもなるほど、東日本で広く流通しました。中世期では、瀬戸が釉薬を施した陶器の唯一の産地だったそうです。良質な粘土と、ガラス原料の珪砂が豊富に含まれる瀬戸陶土層は世界有数の陶土と言われ、瀬戸の多種多様なやきものを生み出す源となっています。THE 飯茶碗「瀬戸」は、古染土(貫入土)と呼ばれる瀬戸ならではの陶土を用い、貫入(釉薬のヒビ割れ)が見えやすい透明釉を施しました。 【益子(栃木県)】窯元:陶庫 道祖土和田窯  締土(しぼりつち)/糠白釉(ぬかじろゆう)柳宗悦や河井寛次郎とともに民藝運動を創始したことでも有名な人間国宝の陶芸家・濱田庄司が居を構えた益子。江戸後期に、幕府への献上品を焼くための「御用窯」として栄え、明治以降も東京や関東近郊の消費を支え、東北地方の瓦の窯としてもよく使われていたそうです。THE 飯茶碗「益子」は、益子六釉の1つである糠白釉を茶碗全体に掛け、土味をおさえて仕上げました。   【信楽(滋賀県)】窯元:ヤマタツ陶業  信楽土/無釉/焼締 ※THE 飯茶碗 信楽は生産・販売を終了しました。千年以上の歴史を誇る日本六古窯の一つであり、耐火性と可塑性に優れた陶土が付近の丘陵から豊富に採れたことにより「大物づくり」の焼成技術が高く、水瓶や火鉢などに加え、大きな狸の置物でも有名です。古くから日本の文化が栄えた近畿地方の中心にあり、古代の主要道でもあったため、陶工にとっての理想郷とも言われた産地です。THE 飯茶碗「信楽」は、自然の土味や土の白さを楽しむ為に、細目の信楽土を用い、釉薬を掛けずに焼き締めています。 THE公式ハッシュタグ:#THE_飯茶碗THE公式ハッシュタグリスト(公式note):THE公式ハッシュタグリストができました THE REVIEWS(公式note):日本人の手の形の最大公約数にあたる飯茶碗
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『THE 飯茶碗』は、最も人の手に沿いやすく持ちやすい形状を追求した飯茶碗です。
口径は12cm。これは、標準的な大きさの日本人の両手で人差し指と親指を使い、円をつくったときの直径と同じ(①)。つまり、持ったときに自然と手に馴染む大きさです。
そして高さは、その半分の6cmに設定しました(②)。一般に、人差し指と親指(先端から付け根まで)の長さの比率はちょうど2:1とされ、手の向きをどの角度に変えてもこの比率は変わりません。



つまり、この比率が椀と手のベストな関係であると導き出したのです。

開発の過程で、興味深かったことがあります。

お椀は、古くは“まり”と呼ばれていたそうです。毬のように丸い器であったことからその呼び名がついたようですが、特殊な形状の椀を別にすると、良い器というのは、反転させて二つを合わせたときちょうど四寸(12cm)の球になる、とされていたそうです。
つまり、『THE 飯茶碗』同様、椀の口径12cm、高さ6cm、そして両者の比は2:1。
さらに、様々な産地で作られてきた茶碗を見せていただいてもやはり、昔ながらの基本的な形は12cm(四寸)でした。「でもなぜだかは分からない」と、産地の皆さんは口を揃えます。

『THE 飯茶碗』の口径である12cm=四“寸”のような昔からある長さの単位は、人間の体から生まれた“身度尺”と言われます。近年、様々なデザインの手が入り、いろいろな形状の茶碗が増えていますが、おそらく昔からずっと、人の手の形から生まれた身度尺に沿った12cm=四寸の茶碗が、各産地で当たり前に作られてきたのでしょう。
今回作った『THE 飯茶碗』は、図らずも、「今の時代には無くなってしまったけれども昔からずっとつくられていた茶碗の原型」を復刻する形となりました。様々なデザインによって失われつつあった茶碗の原風景=“手から生まれたかたち”に立ち戻れたことは、ひとつの発見でもありました。

今回、この全く同じ形状の茶碗を、異なる5つの産地で製造しました。日本の陶磁器の名産地である有田(佐賀県)、清水(京都府)、信楽(滋賀県)、瀬戸(愛知県)、益子(栃木県)の窯元に協力いただき、土、釉薬、仕上げなど、産地それぞれの特長を楽しめるようすべて白色に仕上げています。産地ごとに揃えたり、産地違いで集めたりと、5つの表情を自由に楽しんでいただける飯茶碗です。
※THE 飯茶碗 信楽は生産・販売を終了しました。

 

※それぞれの産地の特長が表情豊かに出せる仕上げにこだわっているため、窯の中の火加減や場所、季節や時期によって、どれも全く同じ焼き上がりにはなりません。


【有田(佐賀県)】窯元:藤巻製陶  天草陶石/白磁/柄杓掛
今から約400年前、国内で初めての磁石が発見された、磁器発祥の地として有名です。
有田焼は、国内はもとよりヨーロッパの王侯貴族を深く魅了し、「IMARI」と呼ばれて純金と同じ価値で取引されていたそうです。有田の磁器の透き通るような白さは、貿易商であったオランダ連合東インド会社の高い要求に応えた当時の陶工たちの研究の賜物であったと言えます。
THE飯茶碗「有田」は、柄杓掛けという釉薬の表情が出やすい技法を用いてつくられています。


【清水(京都府)】窯元:伊藤製陶所  赤土/粉引
名前の由来は、清水寺への参道である五条坂界隈に窯があったこと、と言われています。京都の料理人や茶人のもてなしの器、嗜好品として、様々な要望に応えてきた清水焼は、多種多様な技法や素材そのものより、手作業でそれをつくり続けてきた陶工達が主役であると言えます。江戸時代前期に活躍した野々村仁清や尾形乾山など、多くの名工が独自のデザイン・技法を生み出し、今日に至っています。THE 飯茶碗「清水」は、様々な色絵付けの下地となった白土の化粧掛け(粉引技法)を用いてつくられています。

 

【瀬戸(愛知県)】窯元:マルミツ陶器・柴田製陶所  古染土/透明釉/貫入

日本六古窯の一つであり、「瀬戸物」は陶磁器を指す一般名詞にもなるほど、東日本で広く流通しました。中世期では、瀬戸が釉薬を施した陶器の唯一の産地だったそうです。
良質な粘土と、ガラス原料の珪砂が豊富に含まれる瀬戸陶土層は世界有数の陶土と言われ、瀬戸の多種多様なやきものを生み出す源となっています。
THE 飯茶碗「瀬戸」は、古染土(貫入土)と呼ばれる瀬戸ならではの陶土を用い、貫入(釉薬のヒビ割れ)が見えやすい透明釉を施しました。


【益子(栃木県)】窯元:陶庫 道祖土和田窯  締土(しぼりつち)/糠白釉(ぬかじろゆう)
柳宗悦や河井寛次郎とともに民藝運動を創始したことでも有名な人間国宝の陶芸家・濱田庄司が居を構えた益子。江戸後期に、幕府への献上品を焼くための「御用窯」として栄え、明治以降も東京や関東近郊の消費を支え、東北地方の瓦の窯としてもよく使われていたそうです。THE 飯茶碗「益子」は、益子六釉の1つである糠白釉を茶碗全体に掛け、土味をおさえて仕上げました。


 

【信楽(滋賀県)】窯元:ヤマタツ陶業  信楽土/無釉/焼締

※THE 飯茶碗 信楽は生産・販売を終了しました。
千年以上の歴史を誇る日本六古窯の一つであり、耐火性と可塑性に優れた陶土が付近の丘陵から豊富に採れたことにより「大物づくり」の焼成技術が高く、水瓶や火鉢などに加え、大きな狸の置物でも有名です。古くから日本の文化が栄えた近畿地方の中心にあり、古代の主要道でもあったため、陶工にとっての理想郷とも言われた産地です。THE 飯茶碗「信楽」は、自然の土味や土の白さを楽しむ為に、細目の信楽土を用い、釉薬を掛けずに焼き締めています。



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